「いじめをやめなさい」と言う前に「パワハラをやめなさい」という話

スポンサーリンク

 

いじめはよくない。それは間違いない。面白半分で人を傷つけたりその人の人生を終わらせかねない行為は間違っていると言える。だがその前に、いじめをやめるべきは私たち大人の方だ。

セクハラ、パワハラ、マタハラ、そういったくだらないことを、まず自分たち大人がやめていくべきではないか

大人が放置してきたいじめ

これは今までの大人が目を背けてきた部分だ。だから自分たちがまず努力して、一緒にやめようって、一緒に考えていこうって、そういった姿勢がまず必要になる。私たち大人は、偉そうに子供に語れる立場にないのだ。

セクハラもいじめだし、パワハラもいじめだろう。大人が日々行っているハラスメントと子供がやっていることと何が違うのだろう?誰かを笑いものにしている大人の背中を見て子供たちは育っているのだ。

行動もなしに口先だけの聞こえのいい言葉を吐いても、その言葉に説得力はない。

煙草を吸いながら「煙草を吸うな」と言われても聞く気にもならないだろう。
「ありがとう」と言わない人に感謝することの大切さを説かれて納得するだろうか。
自分に対して偉そうな態度を取る人に礼儀について語られても耳に入ることはない。
脂肪を蓄えた人にダイエットの重要性を説かれても困る。
いじめを容認している大人に「いじめをするな」と言われても同じだ。誰がその言葉を聞いてくれるのだろう。

子供はわかっている。大人の背中を見て、テレビを通して、大人たちも「いじめ」をしていることを。口先だけの言葉に意味はない。

もちろん真摯に向き合う大人もいることも事実だ。
一つの例としてこちらのブログを引用させていただこう。
音楽療法士 佐藤由美子さんのイジメに関する記事を読んで、自分の経験をFacebookに書いたら、丁寧にコメントをいただけたお話

この方は学生時代にいじめを受けたことを勇気をもって担任に告白した。彼女の先生はすぐに職員会議を開き、保護者に対しても説明を行った。隠さずに徹底的に周りの大人も巻き込んだ。

結果的にいじめもなくなり、その後のクラス替えでは唯一いじめに加わらなかった一人の生徒を除いて全員と別のクラスに分けるという配慮まで行われたそうだ。

この教師の対応は正面から向き合った結果だろう。事実をしっかりと確認、報告をして対策をとり、そして実行に移した。素晴らしいことにその後のフォローまで行っている。彼女はこの事実をきっかけに”「信じられる大人がいることは、心強いのだ」”と知ったという。

黙認され続けてきたもの

私たちは信じられる大人だろうか?

もし理不尽な物言いで人格否定されている同僚がいたら、それを止めているだろうか?

もし部下がセクハラを受けそうになっていたらそれを防ぐだろうか?

もし理不尽なクレームを受けている店員がいたら、あなたはその人を守るだろうか?

それができる方はもちろん素晴らしい。

しかし残念ながら、いじめはよくないと言う多くの人も、このとき何もしないケースが多い。

「迷惑ごとに関わりたくない」「その矛先が自分に向いたらいやだ」「上の人には何も言えない」

大人は権力者に従うように教育されている。特に社会人という人たちに顕著だ。権力者には敬語を使い、権力者には礼儀正しく、権力者の意向にそった行動をし、権力者には逆らわない。

誰も「部下への言葉遣いに気を付けろ」とか「店員さんには礼儀正しくしなさい」とは言わない。立場の弱い人たちを守るための言葉なんて存在しない。

みんな気づいているはずだ。いじめを目の前にして見て見ぬふりをする子供たちと、ハラスメントを見て見ぬふりをする大人たちの間に違いはないことに。

いくらお金を稼いでいたって、いくら経験があると威張ったって、いじめを前に何もしない子供たちと同じだ。誰も立場の弱い人たちのための声を上げない。

礼儀を重視する大人ですら、人に対する礼儀というものを忘れる。

大人がいじめをやめよう

まずは大人がやめよう。この理不尽でくだらないことを。間違っていることは「間違ってる」と言おう。どうすればそれを止めることができるか考えよう。

大人にできること、同じ社会に生きる私たちにできること。それは自分たちがその理不尽を認めないことから始まるのではないだろうか。

人を傷つけることはしてはいけない。それを背中で見せることができる大人たちがいれば、私たちがそんな大人たちになれば、少しは世の中からいじめという理不尽を減らすことができるだろう。

それを子供たちに伝えていく、あるいは一緒になって取り組んでいく。それでようやく「いじめ」という問題の解決に向かうスタートラインに立てる。

スポンサーリンク